■管理人


管理人のプロフィール & グラフィティー


職業:会社員(建築関係)

広島県福山市生まれ、現在大阪府在住のサラリーマンです。「作る」ことが好きでいろんなことにチャレンジしてきました。チャレンジの過程で身に付いたことを残したいと始めたHPです。


Uコン(1970年代)

2本のワイヤーで飛行機をぐるぐる回しながらアップダウンをコントロールするUコン飛行機。1970年頃にブレークしました。

当時小学校でしたが、今では廃刊となてしまった「Uコン技術」を何回も読み直していたのを覚えています。

当時、子供たちの中では一番安いFUJIのエンジンが主流で、エンヤのエンジンはブランド品でした。

プライマリーという機体にOS10を積んで飛ばしていましたが技術的には宙返り止まりで結局背面飛行はうまくできませんでした。

←当時のUコン機カタログです。(木村模型)


ラジコン(1970年代)

↑当時のラジコンカーの組立説明書です。
  石政 9シリーズ:エンジンカーの草分けです。

中学生時代にいろんなラジコンを手にしました。

プロペラボート「かわせみ」は、水草や藻のある水路などを豪快に走ってくれました。究極は雨上がりの校庭。なんと陸上も走らせていました。(底に穴があきましたが)。その後地球堂の鑑賞用ボートを改造して、09エンジンを積み込んでかっ飛ばしていましたがこの船は兄弟喧嘩の犠牲になり大破したままお蔵入りとなりました。

エンジンバギーでは、なぜかエンジンの冷却に興味を持ち、水冷システムを搭載していました。(現在はCPUの冷却に興味を持っていますがルーツはこの辺にあるかも) 当時のRCカーは当然2駆ですからドリフトさせながらの走行は結構むずかしく、すぐにスピンしてしまいます
また、電動カーなるものが登場し、ディファレンシャルギアを装備したメカには感心させられたものです。そのころF1?で6輪ティレルが一世を風靡しており、このモデルを所有していました。そういえばサンワのミニプロポがヒットしていました。

中学2年の時、中学生としては贅沢なフタバの4チャンネルプロポを買ってもらい、ついにあこがれのラジコン飛行機を手にすることができました。このとき自分の操縦で飛行機が空を飛んだときの感動が今もいまも忘れられません。(飛行機:ポンコツ号)高校受験を控え、止む無く中止することとなりましたがこの時の思いが20年後の再開につながることとなります。

アマチュア無線(1979年頃)

高校生のときCB無線に興味を持ち、その後電話級のアマチュア無線の免許を取得。八重洲FT101、トリオTS520などの往年の短波無線機が発売された直後だと思います。主に21Mhzでオンエアーしていました。サイクル21で太陽の活動が活発でしたので電波状況はとても良く世界中の電波が聞こえていました。(電波の伝わり具合は太陽の活動と関連があるといわれています。)

←知り合いから譲ってもらったTRIO TS801
受信部にも真空管が使用されていました。

海外局との交信も難しいことではありません。但しスタンプ英語(決まりきったことを言うだけ)の交信でしたが・・・。アメリカ西海岸、オーストラリア、ヨーロッパ、ロシアなどと多くの交信をすることができました。一番印象に残っているのは南極観測隊:コールサイン8J1RLとの交信です。

  南極観測隊8J1RLのQSL(交信証明)カード→

高校2年になって2級アマチュア無線の免許を取得。


潜り (1980年代)

大学時代、クラブではなぜかキャンプが盛んで、何度となく山や海に足をはこびました。現在のような整備されたキャンプ場ではなく、水もトイレもないような場所での野営です。無人島に渡ったり、海に潜って獲物を獲ったり。

お金がないのでボンベなどつけられません。素潜りです。それでも海の中の神秘的な世界を十分に味わうことができます。空を飛ぶような「浮遊感」は筆舌に尽くし難いものがあります。


オートバイ (1980年代)

原付免許は高校時代に取得していましたが、学校の指導で没収されていました。大学に入ってから中型免許を取り、本格的にオートバイに乗り始めました。このころ、オートバイは市民権を得る手前の状態でしてライダーもそう多くはありません。ツーリングでは、すれ違い様にピースサインをすることが慣例で、ライダーの連帯感を高めました。

←初めてのツーリング(ソロ):熊本県のやまなみハイウェイのスナップ。出会ったライダーとランデブーです。

写真のバイクはYAMAHA XS250 ミッドナイトスペシャル。このバイクは輸出モデルとして発売されたXS1100ミッドナイトスペシャルの250版国内向けバージョンです。エンジンがブラック塗装されていてとってもレアなバイクでした。もともとアメリカンスタイルだったのですが、ビンテージバイクにかぶれて、一文字ハンドル・バックステップ・キャプトンマフラー・シングルシートに改造して自己満足していました。

大学4年になって限定解除し、SUZUKI GSX750S刀を中古で購入。当時、輸出モデルとして1100CCの刀が発売され、そのスタイリッシュなデザインは一世を風靡しました。750ccモデルとして国内販売されたのですが、陸運局の指導でセパレートハンドルが通称「耕運機ハンドル」に変更となり、国内ライダーをがっかりさせました。私の場合、セパレートハンドルに交換して乗っていましたが、車検の度にノーマルに戻す必要があり、大変でした。数年前、復刻版として750刀が再販されましたが、ちゃんとセパレートハンドルになっていましたね。それと重いクラッチがアシスト付になったのは正解だと思います。 諸般の事情で今はバイクを降りています。

宝島への旅 (1985年)

約20年前、大学の卒業旅行に行きました。行き先は鹿児島県トカラ列島にある人口120人の離島「宝島」です。こんな名前の島が本当にあるのです。昔、イギリスの海賊、キャプテン・キッドが財宝を隠したといわれている島です。鹿児島から船で二十数時間、船内には気分が悪くなったっ人の為の洗面器がたくさん完備?されていました。(本当の話です)

←この船で二十数時間、1週間に1便です。

島内にある鍾乳洞は、観光化されていませんでしたのでルートがなく、中に入ると元の入り口に帰れる保障がなく、かなり恐ろしかったことを覚えています。今はどうなっているのか、結構気になります。

   川口浩 探検隊 状態の鍾乳洞。→


木工 (1997年)

木工をはじめたのは、子供のおもちゃを作るのがきっかけでした。最初は、小さな糸のこからのスタートで、マンションのベランダで木屑を舞い上がらせながらの作業でした。

家を新築した際にウッドデッキをDIYで作る為にクロスカットソーやインパクトドライバーなどの工具を揃えました。それからというもの、工具がだんだん増えてクロゼットの中が工具でびっしりです。ホームセンターの安売りでは1x4材をまとめ買いしては家に蓄えています。木工のHPをめぐるうちに、アメリカのDIYのふところの広さを知りました。日本の工具メーカーももう少しがんばてほしいものです。日本のホームセンターもアメリカのような品揃えになることを祈っています。


パソコン (1999年)

会社でPCを使っていたのですがマイコンピュータを買うには高すぎると、躊躇していました。1999年にやっと購入しました。MSI社のベアボーン機をベースとしたSHOPオリジナルマシンでした。(CPUはセレ466MHz)。その後、PCの改造に興味を持ち、ATXケースを購入。パーツを購入しては入れ替え、初期のパーツは殆ど残っていません。オーバークロック、そして静音化とCPUの冷却に為苦労していましたが、最近は多くの静音化パーツが出回るようになり便利になりました。CPUはあえてPENIII700を使い続けています。HIスペックなCPUは発熱も多く、排熱の為の騒音も大きくなりがちです。相反していますが高速で発熱が少ないCPUの開発を望んでいます。

<パソコン環境>
-2003.3 -
MB:ABIT ST6
CPU:Intel PentiumIII 700MHz
Graffic:Matrox MillenniumG400 DualHead
HDD:IBM IC35L040AVER07-0
CD-R/RW:Richo MP7060A
DVD:Creative PCDVD8XST
Display:SONY HMD-A100
-2003.10-
HDD:SeagateBarracuda 7200.7(ST380011A)
CD-R/RW:Aopen CRW4852
Display:ADTEC AD-AX17X


食玩 (2002年)

食玩とは正式には玩具菓子のことです。

集め始めたきっかけは「タイムスリップグリコ」。子供が買ってきた(正確には買ってもらった)グリコのおまけ。これがなんとなつかし〜い昭和の「もの」たち。なんと精巧にできていることか。しかもそれらは「おまけ」。ものづくりをするものにとってここまで精巧にできたものがおまけとして流通していることにある種の衝撃を受けました。

それにしてもなぜ集めたくなるのか。自分でも分かりませんが、いつしか とめどなく湧き上がる物欲の虜になっているのでありました。

←タイムスリップグリコ

そして次に集めたのがミリタリーもの。管理人は、プラモデル世代なので子供の頃作った、と言うよりは欲しいけど買えなかったなつかしい第二次大戦の戦車や戦闘機モデルに惹かれました。冷静に考えると「兵器」であり人々を苦しめ、そして命を奪ったと言う意味でこれらを集め鑑賞するのは、不謹慎である・・という罪悪感を感じながらも当時の技術の粋を集めた迫力に魅力を感じるのです。

1/144 三菱零式艦上戦闘機52型 →


ラジコン復活 (2004年)

少年の頃に夢見たラジコン飛行機がどうしても忘れられません。

電動飛行機は、かつては非力な点がネックでしたが昨今はモーター、電池、メカが画期的に進歩して小さな飛行機が狭いエリア(公園など)でも縦横無尽に飛ばせるようになりました。

かくして、数十年のブランクを経て再び大空へ夢を馳せる中年おじさんとなりました。

←電動飛行機による「ナイフエッジ」飛行

こちらはハンドランチグライダー。日本語でいうと手投げグライダーです。動力なし。ゴムも使いません。ただ手で投げるだけ。それが魅力です。

地上に発生する「サーマル」を利用して50m〜80mまで上昇します。(とはいっても未熟なのでサーマルに乗せられるのは数十投して1回あるかないかです)もちろんラジコンでコントロールします。

翼幅1500ミリの自作ハンドランチグライダー →